◆エッセイ<オフコース>

last update 1999/6/14
レオーネ特集《予告》
第一回 『さよなら』フォークバンド結成
第二回 『YES NO』恋愛って何だろう?
第三回 『愛の中へ』僕の中学
第四回 『一億の夜を越えて』友&愛
第五回 『愛を止めないで』バレンタインデー
第六回 『言葉にできない』吹き荒れた文化大革命

レオーネ特集《予告》

「中学の時だったんだけど。卒業式の時に「さよなら」が流れて みんな一斉に泣き出した。不思議だった」(岩渕玲子さん:スタ イリスト)

「俺のところの卒業式で退場時に「さよなら」がかかったんです よ。そしたらどっと泣いちゃって。目の前がまったく見えないく らいボロボロ泣いて。止まらなくてね。友達の肩につかまりなが ら退場したんです」(小林氏:アルバイト)

「小学校の時に解散したからよく覚えてないんですよ。「ひょう きん族」でオフコースのものまねを見て。それで覚えるんです。 ハゲカツラかぶった人が何度も「さよならさよなら」言てまし た。だからオフコースはこんなものなんだと思いました。小田和 正もハゲてると思った。私は今思うと恥ずかしいんですけどブラ イヤン=アダムスを聴いてました。」(石田朋子さん:主婦)
「オフコース? 意識して聴いた覚えはないよ。オフコースって 軟弱で女々しいかったからさ。俺なんかは、もうその頃洋楽派だ ったから…。あえて邦楽をあげるとすれば甲斐バンド。やっぱさ オフコースと甲斐バンドじゃ相容れないものがあるわけじゃない?」
(星野純氏:バンドバナナワニメンバー)

 ●甲斐バンド:甲斐よしひろ率いる日本のロックバンド。代表曲  「アンナ」「ヒーロー」でヒットチャート番組を賑わす。テレビ  歌番への姿勢は、フォークミュージックやニューミュージックと  呼ばれたジャンルのプレーヤーと同じく出演を拒否。

「YES・NOという曲ありますよね。あれはイライラするんです。 どっちなのかはっきりしなくて」(西本彩さん:フリープランナー)

「あの頃みんな聴いてた。IloveYuoをキャンプファイヤーで大合 唱したよ」(星野氏のお嫁さん)

「お姉さんの高校の文化祭に遊びに行った時、そこで女の子三人フ ォークギターの人達がいてオフコースの曲を弾いてたんだけど、そ れがボロボロ泣きながら弾いてたの」(坂本絢さん:役者)


新シリーズ オフコース (全6回)

第一回 『さよなら』フォークバンド結成
第二回 『YES NO』恋愛って何だろう?
第三回 『愛の中へ』僕の中学
第四回 『一億の夜を越えて』友&愛
第五回 『愛を止めないで』バレンタインデー
第六回 『言葉にできない』吹き荒れた文化大革命


 その日僕は久しぶりに再会した宮脇氏と池袋にある「マダムシ ルク」でゆっくりと酒を交わしていました。彼は今はスポーツ紙 記者で中々にハードなのだそうです。話はいつのまにか高校時代 や中学時代の部活動になってました。彼は応援団の夏合宿の話で、 僕はラグビー部のやはり夏合宿の話。「水道の水がうまかった」 と言い合ううちに、終電は走り去ってました。今夜は彼のところ に泊めて貰うしかありません。

 何とか彼の部屋にたどり着いた時は二人ベロベロに酔ってまし た。宮脇氏が電灯を小さい電球に切り替えました。明日も早い。 うとうとしはじめるといきなり『愛を止めないで(オフコース)』 がステレオから。「これ聴いて寝よう」と独り言のように彼は言 いながら自分の布団へもぐって行きました。僕は「そういえば中 学の時オフコース、よく聴いたな」と暗闇の中思い出しました。 でも頭はグラグラです。そこへ今度は『YES NO』がかかり ました。それはベスト盤でした。


from 土方レオーネ

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第一回 『さよなら』フォークバンド結成



 木曜夜9時放映の「ザ・ベストテン」というヒットチャート番 組がありました。その番組は有線・シングル・LP・ラジオ・ハ ガキのリクエストを基にして点数にし、10位入りした人が全国 生中継で登場して歌うというものでした。僕は欠かさず視ていま した。モノラルテープレコーダーの内臓マイクでよく録音しまし た。テレビの前にじかに置いて。お金の無いガキでした。接続コ ードが買えなくて。ステレオは遥かな夢でした。家の貧弱な音響 装置の中ではこのモノラルカセットが唯一の味方でした。「ベス トテン」は生放送でしたから録音チャンスをうかがうのには多少 の勘とテクニックが必要でした。

 でも、それより困難だったのは家族みんなに黙ってもらうこと でした。テレビは茶の間にしかありません。夜9時は必ず家族フ ルメンバーがそろってましたから。襖の開閉音、せんべいの音の ために数多くのテイクが失敗しました。

 さてそのなかでフォーク系やニューミュージック系の人達の一 部は当時出演拒否するんです。中島みゆき・松山千春・ながいり ゅううん・チューリップ・オフコース・吉田たくろう。南こうせ つ・松任谷由美もまだその時はテレビには出ませんでした。ジャ ンルは違いますが矢沢永吉(えーちゃん)も出ませんでした。彼 らにはテレビ局による点数でランク付けされることへの反発があ りありとうかがえました。

 僕はモノラルカセットをテレビの前に置いて「いつか出演する だろう」と待ちかまえてました。でも録音できたのは「ごめんな さい」という久米宏アナウンサーの言葉だけでした。僕は見れな くて残念と思いながら同時に彼らシンガーソングライターの出演 拒否の姿勢にあこがれました。

 僕のクラスにようちゃんと呼ばれてる友達がいました。彼はや さしいいい奴です。授業が終わると6人ぐらい連れ立って彼の家 に遊びにいきました。彼はステレオを持ってました。レコードも 沢山。そしてなんと言てもマーチンのフォークギターを触らして くれました。そこで初めて「アルペイジオ奏法」を見ました。そ の楽器に触った気分はシンガーソングライターでした。

 何気にようちゃんがオフコースのレコードをかけました。そし て部屋あったシンコーミュージック出版のTAB譜「オフコース 集」を広げました。ようちゃんが「ここ弾けるよ」と言てレコー ドにあわせて数小節ボローン。瞬間僕は「これだ」と思いまし た。曲名はわかりませんでしたが興奮しました。

 さて数週間経て三人が集まりました。手にはそれぞれギター。 ようちゃん・井上ともひろ・そして僕。場所は町の集会所。。僕 のそれは質屋「ポンポンショップつるや」で5千円で買ったコピ ー型。それでも満足。早速練習開始。2・3時間経つうち三人は 気が付きました。集まる前にやる曲を決めたほうが良いというこ とに。集まる前に個人練習したほうが良いということに。そして 「アルペイジオ」よりもストローク中心の「アリス」のほうが簡 単だということに。その日から「オフコース」と「アリス」の二 本立てでコピーをしょうということになりました。

 「ベストテン見た?」友達の遠島君が言いました。それは保健 体育の時間でした。男子は学校指定ジャージでグランドをランニ ングしてました。もうランニングの列はその一声でもみくちゃの 団子になりました。あの出演拒否をしていた松山千春が昨日「 ザ・ベストテン」で歌ったんです。コンサート会場からの中継で した。それはこうでした。「長い夜」を歌ってる松山千春のとこ ろにファンがテニスボールを投げました。ボールを受け取った千 春は歌いながらヒールキックで返しました。

 翌日のグランド。遠島の一声はそのワンプレーを指してまし た。即座にみんなヒールキックをはじめました。サルの如く。
 僕は一緒に騒ぎながら想いました。僕の出演拒否のコメントを 「オレ達はライブを大切にしてる。そこんトコ。テレビを見てる みんなには解って欲しい…」

●アルペイジオ奏法:ギターを弾くやり方の一つ。6弦ギターの 場合、1番弦(薬指)2番弦(中指)3番弦(人指し指)56番 弦(親指)というフォームで担当させて爪弾く演奏法。
●ストローク奏法:ピックと呼ばれるもので123456弦を全 て引き下ろす演奏法。
●TAB譜(たぶふ):5線譜をギターの6弦にあわせて6本の 譜に書き直したギター専用の楽譜。
●ザ・ベストテン:TBS放映のヒットチャート生番組。初代司 会者黒柳徹子・久米宏。
●ニューミュージック:音楽のジャンルの一つ。商業歌謡曲(演 歌・アイドル)とは一線を引き、自作の音楽を自分たちで歌うと いうプレーヤー。フォークミュージックの流れがとても色濃い。
●松山千春(まつやまちはる):シンガーソングライター。フォ ークミュージックからニューミュージックへ活動を展開。代表曲 「長い夜」「恋」「季節の中で」「旅の空から」など。
●矢沢永吉(やざわえいきち):ロックミュージシャン。ロック ンロールバンド「キャロル」解散後ソロ活動開始。自伝「成り上 がり」(角川出版)は当時の若者のライフスタイルに大きな影響 を与える。この頃の代表曲「時間よ止まれ」「YesMyLlove」な ど。
●アリス:フォークからニューミュージックにまたがる活動を展 開。谷村新司他2名の三人グループ。薯にワニ文庫「天才秀才バ カ」など。代表曲「チャンピオン」「君の瞳は1万ボルト」「冬 の稲妻」など。



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「ラブレターをもらったの。下駄箱に入ってて。紙の真ん中に文 が書いてあって。三角に折り畳まれてた四隅にYes・Noの歌詞がち りばめて書いてあったの」(星野氏のお嫁さん)

「普段はずかしくて言えないこと。こっぱずかしいことを歌って くれてたんだよ。コーラスがきれいでさ」(舟越悦夫氏:建材配 送)


第二回 『YES NO』恋愛って何だろう?

 Yes・Noという曲は何回もききました。はじめの内はアルバム 全体を一通り聴くんですが、そのうち同じ曲を何度も何度もリ ピートするという聴きかたをしました。その頃はそんな聴きか たを本当に良くやりました。
 バーチャイムという楽器があります。またの名をウインドチ ャイム。小さな細い金属のパイプをいくつも吊り下げてるもの です。手で触るとシャラシャラーンと鳴ります。Yes・Noの曲の 中で一ヶ所これが使われてます。「二人包んで流れてゆく」と いうところです。何故か僕にはここが好きでした。そしてそれ が個人的なビジョンとして映像化されてました。

…中学の体育館と校舎の間にある渡り廊下。そこを通る彼女。
僕には「シャラシャラーン」という音が、この映像と合体してい ました。僕と彼女が二人渡り廊下で会う。そこでカメラがパン する。今思うとかなりの妄想です。



「俺は嫌いだったね。英語の時間に‘Yes. Of course'と言うの も嫌だった。しかも輪をかけてスペルが‘Off course'で違うか らさらに頭に来た」(高宮孝治氏:バンドバナナワニメンバー)



 その頃、僕はギターのコードフォームをいくつか覚えはじめ ていました。でもFコードはまだ無理でした。指はズキズキし ながらも、三人ではじめたバンドの名前だけは決まりました。

「ようちゃんとその仲間たち」。そしてトレーナーもそろえま した。胸に刺繍もいれました。メンバーの井上君「やっぱフォ ークはオーバーオール」の言葉でこれも購入しました。練習の 日にはこのトレーナーとオーバーオールというのが決まりでし た。

 オフコースの曲「時に愛は」を新しく練習しはじめていまし た。でも彼女はいませんでした。「恋愛とは・愛とは」恥ずか しい言葉です。まして口に出して言うのはさらに大変です。こ ういう時は表情が険しくなってしまうのが僕のくせです。僕は 部屋でオフコースを聴きながら愛について恋いについて考えて いました。険しい表情をしていたと思います。「恋愛ってなん だろう?」



 「たのきんとか聴いてる一方で、オフコースは大人の歌と思 ったんですよ。大人の仲間入りが出来る感じで」(石井なつき さん:役者)



 田無第四中学校に映画研究部がありました。僕はこれに在籍 してました。男ばかりの集団でよく部長下田英一郎の家で打ち 合わせと称し集まっていました。正月などに関係なく友達同士 集まってお酒を飲んだのがこの集まりでした。初めてお酒を飲 んだのがこの中学二年です。でもビールがまずくて。

「タコハイ」が新発売されてました。タコハイは高いので 「コークハイ」をやりました。焼酎の「樹氷」「トライアング ル」をコーラで割るんです。これが不味い。割り方も知らない から焼酎をどぼどぼ入れるわけです。中には通ぶってビールを 選ぶ奴もいる。

 さて「乾杯」一口飲む。にがい。でも顔には出さない。一口 飲めば「何でも喋る酔っぱらい」と勝手にみんな思ってる。お 酒の不味さを顔に出さないようにしながらすぐに「お前。クラ スで誰が好きなんだよ」と始まるんですね。これがスタートで した。そして「友達以上恋人未満はありえるのか」とか「男女 の友情は成立するか」と流れでした。

「ウイスキーコーク」という曲が流れてました。そこではオ フコースをあまりかけてくれませんでした。下田君は矢沢永吉 ファンでした。そして部屋にはダーティハリーのポスター。彼 の部屋では永ちゃんとダーティハリーがほとんど神格化されて いましたから。

 話題はいつしか「男女二人が映画を観に行くことは、恋人同 士であることとイコールか」二手にわかれ2.3時間激論しま した。中学生の坊主が10人。でもみんな彼女はいませんでし た。

 僕達の中では「好きな女の子の名前を打ち明けること」は友 情の証し。仲間の証しでした。そしてサザンオールスター「お んなよんでもんでブギ」の合唱が恒例でした。

●オーバーオール:胸あてを肩にかける型式のジーンズ。
●ダーティーハリー:シリーズ映画。クリント=イーストウッド主演。   型破りの刑事ハリーキャラハン(通称ダーティーハリー)が悪と闘う。
  硬派もの。
●タコハイ:チュウハイブームの火付けとなったお酒。   田中祐子のCMが人気となる。合わせて「たこ八郎」も人気に。
●たのきん:たのきんトリオ。3年B組金八先生出演の三人   田原俊彦の「た」野村よしおの「の」近藤正彦の近を「きん」   として合わせた呼び名。後にテレビ番組「たのきん全力投球」   が放映。
●Fコード:ファ(F)の音を基音(ルート)として構成され   た和音。ギターコードの中で押さえるポイントが多く、握力   とフォームバランスが難しいとされる。初心者のうちFコー   ドでギターをあきらめる人も。



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 僕はその頃良く聴いたものはことごとく処分してしまいまし た。現在、僕の手元にはオフコースのレコードがありません。 テープや当時コピーしてもらったTAB譜もありません。捨て なければよかったなと思ってます。


第三回 『愛の中へ』僕の中学

 僕の中学では大ブームでした。オフコースはアルバムタイト ル「OVER」を発表していました。どのくらい流行っていたのか は難しいところですが、オフコースの歌を廊下などで鼻歌をし ていても怪訝にされませんでした。

 世間では「校内暴力」「家庭内暴力」「シンナー」「体罰問 題」「暴走族」がとりざたされて始終マスコミが騒いでいまし た。僕の中学は新設されてまだまもない学校でした。でもやは り荒れていました。「がくらん」の流行は2種あります。「たんらん」と「ちょうらん」です。うちは「ちょうらん」 でした。カバンは中身を抜いてぺったんこにし、靴をつぶして 履く。女の子もスカートを引きずって歩いてました。今思うと 変です。眼(がん)つけたとかね。

 授業中に他校の方々がバイクでやって来て、改造したマフラ ーで「ふぉんふぉん」てね。するとみんな窓にたかってどんな 方々なのか見に行ったりしてね。サルの如く。
 僕はその頃あまり本は読みませんでした。でも大きく刺激を 受けた本がこの中学時代に2つあります。その本の1つが矢沢 永吉「成り上がり」(角川出版)でした。友達の遠島君が薦め たのがきっかけでした。とにかく一撃で読みました。糸井重里 さんが責任編集されてたと思います。でもそれはどうでも良い ことでした。

 その本で、誰かの「お金で買えない物があります」という言 葉に永ちゃんが喰ってかかるとこがサイコーでした。僕はライ フスタイルは永ちゃんに憧れ、音楽の趣味はオフコースという 変な取り合わせでした。それでも全く違和感ない僕でした。

 クラスに「力石(りきいし)さん」と呼ばれる男子がいまし た。彼はバスケ部で脚が長く、顔は彫りが深い。「あしたのジ ョー」に出てくる力石徹に似ていました。でも人柄は品行方正 で紳士でした。休み時間に力石さんのところに5人男子が集ま っている。何なのか肩ごしに覗いてみると力石さんは下敷きを 手にして熱く語ってました。

 「この歌良いでしょ?」下敷きには、便せん紙に自分で書い たオフコース「メインストリートをつっぱしれ」の歌詞が挟ん でありました。数秒後には歌い出すウラ声の5人。

 よこみっちゃんはつっぱってました。リーダーの才覚がある 人でいつも4人くらいで歩いてました。トイレはいつも壊れて いてドアもボコボコになってました。みんなイライラしてたと 思います。そしてよこみっちゃんもオフコースファンでした。
トイレではみんな髪をセットするんです。ビッチリと。そこで の彼の鼻歌を覚えています。

 彼は髪を整えながら「聞かせてあなたの声を〜」と始まる。
これがオフコース「愛の中へ」。そこで仲間もハモる「心が言 葉を越えて〜」オフコースの歌はkeyが高いんですね。そして トイレは良く反響するんですよ。上手く歌えてる気になるんで す。
 僕はそれを聞きながら用をたしたわけです。



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「友&愛は大変世話になった。そこでYMOとか借りた。我が 家にはオットーという名のモジュラーステレオがあったんだけ ど針飛びがひどくて。部屋を歩いてるだけでも駄目だった。と ても苦労した」(星野純氏:バンドバナナワニメンバー)

「高校の時オフコースの大ファンが友達にいたんだ。僕の家の ステレオをよく借りに来た。ダビングしに来るからいやがうえ にも聴かされるわけ。「一億の夜を越えて」の曲はよく覚えて る。なんで覚えてるかって言うと、あの曲だけ異様に長かった。
だからテープに収まりきらなくって何度も編集し直したんだけ ど結局そのテープに入りきらなかった。なんでこんなに長いん だって。僕自身?大滝詠一のファンだった」(河村邦和氏:役者)

●友&愛(ゆうあんどあい):レンタルレコードをいち早く展開 したチェーン店。複写したダビングテープを売る人も出てくる。 音楽著作権とは何かが日本でもやっとクローズアップされること に。他のレンタルレコードとしては「れいこーどー」などがある。
●YMO:イエローマジックオーケストラの略。日本のテクノミ ュージックバンド。細野晴臣。高橋ユキヒロ。坂本龍一が在籍。


第四回 『一億の夜を越えて』友&愛

 学校では「テクノカット禁止」が出されました。それはもみ あげを全てカットしてしまうヘヤースタイルです。全体は「坊 っちゃん刈り」に酷似していました。何で学校が禁止にする必 要があったのか今でも不思議です。当時の先生に会ったら詰問 したいくらいです。「テクノカットの何処がいけないのか」。
 YMOの人気が高まっていました。日本の初期テクノサウン ドの勃興です。僕の旧友の荒木氏はYMOが大好きでした。テ クノ派でした。その頃彼はクラフトワークのアルバムを大絶賛 していました。
 この時期に友&愛(ゆうあんどあい)が僕のところの駅前に 出来ました。レンタルレコードという新しいビジネスシステム が僕のところにもやってきたのです。さらに僕の家では大きな ことがありました。
 ステレオが僕の家にやって来たのです。姉さんと僕は大喜び しました。これで今までのモノラルカセットともおさらばです。
友&愛への道が開かれたのです。そのステレオにはOTTO (オットー)と書かれていました。これで僕には効力を発揮し ていなかった雑誌「FMステイション」「FMレコパル」「F Mfan」が大きな意味を持つに至ります。輝かしきエアチェ ックへの誘い。
 さてこれらの雑誌には「オーディオ購入術」なるコーナーが 良く特集されていました。オーディオはその種類を5分割にし て費用を割り当てる方法が書かれていました。

スピーカー  ○○万円
アンプ    ○○万円
カセット   ○○万円
チューナー  ○○万円
ターンテーブル○○万円

 用意した費用をいかにして割り当てると理想のオーディオ空 間に近づくか。そんな感じです。オーディオライフの夢だけは 頭の中に理想郷のように無限大に広がってました。
 カセット特集の号もありました。ノーマルカセット・フェニ クロームカセット・クロームカセット・メタルカセットの各社 比を5ツ星であらわしたものでした。
 中学生の僕は友達の荒木君とこれらについて熱く語りました。
アンプ重視か。スピーカーか。ダイナミックレンジがいいのは どれか。はたしてS/N比は…。中学生の坊主が金も無いのに。
マシーンやロボットへの憧れに通じるものがありました。僕の メカ。
 オーディオを分割して購入し、それぞれ単体をつなぐシステ ムをセパレートシステムと言いました。それに対して1セット になっているものをコンポーネントシステム(コンポ)と言い ます。
 家にやって来たオットーのステレオは厳密に言うとこの2種 と若干違いました。「モジュラーステレオ」というのもなんで す。わかりやすく言いますと、まずレコードを回すターンテー ブルを想像して下さい。それのあまったスペースや側壁などに FM・AMそしてカセットが全てくっついている代物でした。
オールプラスチック。
 見た目には一台のターンテーブル。そこからコードが2つ伸 びてスピーカーにつながってる。それだけです。とてもコンポ とは呼べないんです。相当にちゃちいわけです。カセットの扉 は「ウィーン」と電動で開きません。力学的に開くのです。な んの愛想もなくガタンと。テープセレクタは無し。ノーマルテ ープだけ。それでも我が家では画期的なマシーンでした。これ が僕の現実。オーディオライフの理想郷は遥か彼方でした。
 いざ友&愛へ。オフコースはアルバムとして購入する気でし た。友&愛では違うものを借りました。シティポップスの旗手 と言われた山本達彦「I LOVE YUO SO」大滝詠一 ・佐野元春・杉真理らの「ナイアガラトライアングル」RCサ クセション「EPLP」ハウンドドック「Roll Over Ture」 ARB「スナップ ユアフィンガー」メンアットワーク「ダウン アンダー」中森明菜「スローモーション」
 ならべてみるとかなりジャンルがバラバラです。でも当時の 僕には全然違和感がなくこれらのアルバムを聴きつづけること ができました。
 姉が当時購入したアルバムは松任谷由美「パールピアス」Y MO「増殖」「ソリッドステイツサバイバー」南よしたか「レ ディオガール」僕はオフコース「WE ARE」「OVER」 「ベストセレクション」「ILOVEYUO」そして何故かス ターウォーズ2「帝国の逆襲」
 初めて自分のお金で買ったシングルは、松任谷由美「守って あげたい」でした。



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 バレンタインデーという日は落着かないものです。お菓子会 社が設けた日であるのは分かってました。僕は「もらいたい」 でも欲しいとは顔に出さない様に最大限努力しました。

「オフコースは聴くのが恥ずかしいバンドだった。なんの臆面 もなく好きとは言えなかった。でも内心好きだったりして鼻歌 やったりするんだけど、好きだって答えるのは恥ずかしかった。
その頃はねフュージョンが好きで。カシオペア。スクェア。で もシャカタクも同じく恥ずかしくて言えなかった」(石田東生: バンドバナナワニメンバー)


第五回 『愛を止めないで』バレンタインデー

やさしくしないで 君はあれから
あたらしい別れを おそれている
君の人生が二つにわかれてる
その一つがまっすぐに僕の方へ
なだらかな明日への坂道を駆けのぼって
いきなり君を抱きしめよう
愛を止めないで そこから逃げないで
素直に涙を流せば いいから
ここへおいで こわれた夢を
すべてその手に抱えたままで

 バンド「ようちゃんとその仲間たち」はほとんど活動を停止 していました。自然消滅でした。でも僕はギターをつづけてい ました。中学では2年から3年に変わる時期が近づていました。
 クラスでは「誰々が誰々のことを好きらしい」とか「誰々と 誰々は付き合ってる」という情報のネットワークが異常に発達 していました。常にこの手の情報が飛交っていました。誰と誰 の関係がどこまで進んでるのかが、ものすごく重要でした。ク ラスはその情報でもちきり。
 「付き合う」とは何か。イメージとしてデートをすることは 分かりましたが、絵にかいた様に何も具体的立体的ではありま せんでした。
 うっかり好きな子の名前を口に出そうのもなら、翌日にはど うなるか目に見えていました。一日と経たないうちにその情報 は駆巡り,朝クラスに来るとまるで大地震が起きた様にみんな 騒ぐ。サル山のサルの如く。沖田ひろゆきの歌う「一夜明けた ら誰でもヒーロー」です。これだけは避けたい。僕の願いでし た。自分自身がひやかされることは嫌だったけれども、それよ り最も恐れたのは好きな子がひやかされることでした。僕にと ってこの恐れは死の恐怖とほとんど同じでした。大袈裟な誇張 でなく正直にそうでした。
 この頃。中学にあった映画研究部が僕の仲間でした。部長下 田君の二階ではどの様にして告白するといいか話合いました。
「話合たった」と言うよりも。
 幕末の浪人のような殺気だった顔々。中学の坊主8人車座に なっている。真ん中には焼酎とコーク。なぜ「幕末」なのか。
それは恋愛情勢や経験にうとい者ばかりでしたから。そしてそ こでの一言まさに命がかかっていました。
 心強いことにそこの皆は口が固く、翌日クラスでひやかされ る「ヒーロー」になることはありませんでした。僕達がそこで 話したよりよい告白は3本の柱から成立っていました。

1つ 必ず二人きりの時間を作ること。
2つ 意志を伝えたら、即返答を迫らずにすぐ立ち去ること。
3つ 立ち去り際に今日会ってくれたことのお礼を言い、相手の返答はどうであろうとも迷惑や心配をかけないと宣言すること。

 僕等はこれを告白の三大原則と呼びました。しかし話に参加 しながらも僕は,告白出来ない自分自身にいらだっていました。
強く。でもそんなことをしてる内にバレンタインデーが刻々と 近づいていました。バレンタインデー。
 その日。仲間の荒木と放課後校内をぶらぶらしながら過ごし ていました。すぐ帰ればいいのにバレンタインの日だけ遅く居 る奴。この日僕等がそれでした。下校放送が鳴りはじめました。
結局何も無し。僕はカバンを持って階段を荒木と二人降りてい ました。僕にはTBS放送3年B組金八先生の言葉「チョコレ ートは男の勲章です」それが頭に渦巻いていました。トイレへ 用をたしてるうちに、先に荒木が校門へ行きました。僕も遅れ て下駄箱へ。負け試合という感覚で一杯でした。自分の下駄箱 の前に来て中にチョコがないか探しました。何にも無し。そし たら横でひそひそ声がしました。
 距離5m。女子3名。一人が包みを持っている。両脇からサ ポートする補佐の女子二人。3機合体の図。人間は事故の瞬間 体感時間が遅くなたっり、頭の回転は逆に早くなっていろんな 判断が出来る。そんな話を聞いたことがあります。この時、僕 の頭脳判断は総力を挙げてこの加速モードに突入していました。
全てはスローモーションで、頭はフル回転。

<とうとう来たか…どうしたらいい…靴をもとに戻せ…落ち着け>
3機合体の女子は押しくら饅頭のように揺れてます。
<堂々とするんだ>
両脇補佐の女子がセンターの女子に「早く言いなよ!」と言っ てます。
<来た…、余計な人間が二人もいる。しかも女二人>
これは告白の三大原則の1つめに反しています。翌日はクラス の総攻撃を受ける可能性が大きいです。
<落ち着け…落ち着け…校門で待ってる荒木に何て言う?>
両脇のサポート女子二人が、包みを持った女子を前へ押し出し ました。
<距離3m…距離2m…落ち着けよ>
立ち止まりました。女子の後方から「がんばって」の声。
<胸を張れ…ゆっくり呼吸…OKだ>
「これ。荒木君に渡して!」

 ひどい虚脱感。遥か向こうを女子3名が走り去って行きまし た。校門では荒木君が待ってました。包みを渡しました。何と も言えない気持ちでした。その包みは結構重たかったです。た ぶん手作りのチョコレートだったのでしょう。その頃流行って ましたから。帰り道ではもちろんひやかしました。ひやかせば ひやかすほど心が沈みました。でも僕にはそれしかありません でした。勝者と敗者でした。
 家に帰りついたあと,飯も食わずにポツンとしていました。
そしてオフコースを聞きました。

●沖田ひろゆき:TBS放映「金八先生」に出演。「E気持ち」 で歌手デビューする。この頃世間では男女間の交際をABCD であらす。A=キスする。B=ペッティングする。C=SEXす る。
●フュージョンミュージック:ノンボーカルのミュージック。 ジャズが基調となってます。16ビートでした。パブリック的 におしゃれな感じが漂ってました。
●スクェア:安藤まさひろ中心のフュージョンバンド 髪の毛 を渋くまとめてエレキサックスを吹く姿は印象的 F1レース には必須音楽
●カシオペア:フュージョンバンド。野呂一生や向谷実が在籍。
代表曲「ASAYAKE」
●シャカタク:外国フュージョンバンド。FM番組「クロスオ バー11」のじょうたつやによるおしゃれな語りには欠かせま せんでした。代表曲「ナイトバーズ」



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 なぜだかその音楽が心を離れなくてついにそれを手に入れて しまうというは,多かれ少なかれ誰にもあると思います。でも 中学生の頃はそれがもっと強烈でとんでもないものでした。


最終回『言葉にできない』吹き荒れた文化大革命

 「おすすめテープ」というものを僕は良くつくりました。カ セットテープに自分の好きな音楽を入れて友達に貸すのです。
例えば友達のあいつには「2曲目にちょっとバラード系かな」 とかね。
 ガキながらもまるで音楽プロデューサー並みに曲構成をする 訳です。なんと言っても自分の好きなミュージシャンを,曲を まだ聴いたこともない友達に聴かせるのですから。とりわけカ ッコいい曲構成にする。それは使命感にも似たものでした。も ちろんお気に入りのカセットインデックスで勝負です。そして 曲目を書込む。

「俺なんか書く時,息を止めちゃってまるで書道の心だった。
清書だよ。それで失敗するとすげえ悔しいんだ。だから文房具 屋で売ってたレタリングのやつ。やったよ。こすると字が写る の。でもあれズレるんだ」(高宮氏:バンドバナナワニメンバー)

 出来上がったカセットを手渡す時は「この1本で勝負する」 という気概がありました。なぜそこまでというぐらいに。僕に とって理由はシンプルでした。それは「曲=俺」その好きな曲 と自分はイコールで結ばれていたからです。ガッチリと結ばれ ていました。
 そして翌日貸した友達にボロクソに言われる。これは相当に ショックなことです。だからそいつとは1週間ぐらい口きかな い。それは自分自身を否定されたことと同じでしたから。
 ただその「おすすめテープ」は良く考えてみると「おすすめ」 ではなくほとんど「押し付け」に近かった様な気がします。好 きなミュージシャンやその音楽はその頃の僕等にとってヒーロ ー的ヒロイン的でした。その好きな曲に現れた情景は誰にもゆ ずれないものでした。信望というか思想に似たエネルギーを持 っていたと思います。
 だから僕はジャンルというものにとてもこだわりました。僕 にとって,邦楽洋楽問わずいろいろなヒットソングを手に入れ て聴くこと。これはね,とても恥ずかしいことでした。「ミー ハー」という言葉は死語になりましたが,なんでもかまわずヒ ット曲を追っかけることは忌むべき行為でした。「曲=俺」と いう感覚からすればまるでプライドをどぶに捨てるくらいの行 為に思っていました。それでも他のジャンルを聴きたくなった 時はひそかに聴きました。
 その年オフコースは解散しました。中学3年が終わろうとし ていました。僕等それぞれの進路が決まりつつありました。結 局オフコースは「ザベストテン」に出ずじまい。武道館コンサ ートが最後でした。僕はなんだか空虚な感じでした。
 塾の帰り荒木が叫びました「オフコース解散!ばんざーい」 彼は大のオフコース嫌いでした。クラフトワークが好きなので す。彼と口論しても空しさだけが残りました。
 詠ちゃんの本「成り上がり」は部屋でほこりをかぶっていま した。そして僕は,恋愛「告白の三大原則」をついに実行する ことが出来ませんでした。本当に勇気が足りませんでした。負 けでした。僕のオフコースを芯とした価値間感は崩れてゆきま した。
 フォークは,ニューミュージックは,もう僕を動かさなくな っていました。もう僕の感覚は,やさしいハーモニーや恋の歌 ではダメでした。この時自分はなんて弱いんだろと思いました。
僕つよくなりたかったのです。
 しだいに今まで愛していたオフコースは,なんと軟弱で女々 しいのだろうと考えるまでになっていました。とにかく僕変わ りたかったのです。まさに文化大革命でした。
 そんな時友達の須田君が本を貸してくれました。サリンジャ ーの「ライ麦畑でつかまえて」でした。一撃で読みました。感 動しました。まったく新しい刺激でした。
 高校1年の春。僕の部屋には,神田の楽器店で買ったエレキ ギター。オフコースのアルバムとバンドスコアはすべて無くな っていました。それは僕のレッドツェペリンへの幕開けでした。

ラララ
終わるはずのない愛がとだえた
いのち尽きていくように
ちがう きっとちがう
心が 叫んでる
一人では 生きていけなくて
また誰かを愛している
心かなしくて 言葉にならない

 みなさんは中学の時聴いたアルバムを今もお持ちでしょうか。
この取材を通し、引越しやその他の理由でその多くはもう無い という話を沢山聞きました。僕には音楽と個人的な出来事が結 んでいることが沢山あります。そして今まで聴いていた音楽の 傾向が変わり、別な音楽を聴くことがしばしばあります。
 聴く音楽の変化は環境の変化であったり、僕自身の個人的な 事件のためです。中学から高校へ変わるとき僕の音楽の趣味も 急変していきました。高校の僕は、中学の時の僕を恥ずかしく 感じていました。憎んでいたんですね。
 宮脇氏の部屋でオフコースを聴いた時,10代を過ごした7 0年代80年代を思い出しました。そして中学の時の自分を許 そうと思いました。このレポートにこころよく答えて下さった 皆様に感謝いたします。
 そしてレオーネ特集「オフコース」に最後までお付き合いし て下さった皆様ありがとうございます。

「あの頃のベストテープは文化大革命で全部捨てたよ」 (星野氏:バンドバナナワニメンバー)



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