女のひとはとっても大変なんだ。大変なんだなあ。ありがとう。
ここに出てくる主なタイトルは…。
1月31日 木曜日 はれ 破水入院
2月 1日 金曜日 はれ 陣痛促進剤
2月 2日 土曜日 はれ 促進剤2回目
2月 3日 日曜日 あめ 入院4日目
2月 4日 月曜日 はれ 促進剤3回目
2月 5日 火曜日 あめ 入院6日目
前編 2月 6日 水曜日 はれ 促進剤4回目
後編 2月 6日 水曜日 はれ 促進剤4回目
ありがとうございました
それでは、どうぞご覧下さい。
シリーズ 子供について考える
2002/02/08更新(^o^)(21)
次回予告 出産というドキュメント(全8回)
キミよ。産まれたんだよ。子供がうまれたんだよ。男の子なんだよ。いろいろあったんだ。
まあ、少しずつここに記録するよ。それは、大変だった。本当に大変だった。
そして、産まれて、ほっとした。心から、安心したんだ。
そして、ゆっくりと喜びが、わいてきて、オレたちもこんなに大変なことをへて、この世に産まれたんだなと思った。
キミが産まれた時だって、きっと、多くの人々が、ちからをあわせたんだ。きっとそうだ。そうでないやつぁ、ひとりもいないよ…。
シリーズ 子供について考える
2002/02/10更新(^o^)(22)
出産というドキュメント(第1回)
1月31日 木曜日 はれ 破水入院
今日は、良く晴れています。仕事へいくぼく。奥さんはメガネをつくりに吉祥寺へ。いままでコンタクトですませていた彼女は、
最近自分の眼にあったメガネがなかったんです。まあ、いいでしょう。ぼくは、いつもの如く、車を走らせ会社へ。
午後19:40。ぼく弁当を食べていました。奥さんの作った弁当。会社の電話が鳴って、課長が「ひじかた君、電話」て言ったんですね。
会社に電話?オレに?はじめてだ。もしかして。
ぼ く「もしもし」
奥さん「破水しちゃったみたい」
それは、急でした。いそいで事情を課長と同僚に話し、ロッカーで着替え職場を後に。外は暗くなっていました。ぼくの車には
入院用のパジャマ等のセットが、まんいちに備えてのせてありました。
職場に近い総合病院です。ぼくが総合病院に着いたのは午後8時前。連絡では、ぼくのとーちゃんと、かーちゃんが、別の車で病院へ連れてくるってことでした。
病院にはいると中は閑散としていて、当直が一人。ぼくは名乗りました。ぼくの奥さんは「まだ見えてません」とのこと。
ぼくは、病院の入り口に立って待つことにしました。パジャマなどが入った入院セットのバッグを両手に抱え、ぼんやりと。通りを見る。
ヘッドライトを1台、1台確かめる。
ハザードランプを出す車が1台近づいて来るのが見えて、おお、うちの車だって。かけよりました。ぼくの奥さんは自分で歩けました。
とにかく検査。ぼくは落ち着きませんでした。待合いで、ぼく、とーちゃん、かーちゃん。座りながら、いろいろ話すんですけど、ぼくは、
うわのそらで、なんだかよく考えられない。
…2時間がたちました。
看護婦さんと、奥さんが出てきて「入院だって」といいました。そうか。破水したの。本当なんだ。「羊水だったみたい」ぼくの奥さんがいいました。
今日は帰って明日に備えることにしました。
うちに帰って布団にはいりました。「ひとりだと、部屋がガランとしてるなあ。」と思いました。天井を見上げました。大丈夫だ。
でも、大丈夫かなあ。こういう時は、なかなか寝つけないんだなあ。
シリーズ 子供について考える
2002/02/12更新(^o^)(23)
出産というドキュメント(第2回)
2月 1日 金曜日 はれ 陣痛促進剤
病院では、朝9時から促進剤がはじめられてました。ぼくはというと、この病院の入院案内にあった面会時間を気にしてました。「面会は午後1:00〜午
後9:00までです。」
仕事場への準備もすませ、状況によっては、病院と職場を行き来できるかなと思ってました。ぼくの出勤は時差出勤です。時間は間に合います。
「1時に顔を出して、仕事場へ」などとも考えてました。
そして、昼の1時に到着。階段をのぼり、3階のナースステーションの名簿に名前を記入。看護婦さんに聞くと「ひじかたさんは、2階の分娩予備室ですよ」
と言われました。
そこは、関係者以外立入禁止の区域。自動ドアを入ると床がべたべたします。床にはべたべたする粘着質のマットが敷いてあります。
そこで専用の履き物に代えました。
廊下の先に「分娩予備室」とありました。入りました。カーテンで仕切られた空間が3つ。「ピッピッ」という機械音と
「ドッドッ」という機械音が聞こえます。
真ん中のカーテンからは、知らない人の声が聞こえてます。「うー、うー」と書けばいいんでしょうか。そんな女性の声と、家族の声。
ぼくは、一番はじのカーテンをあけました。ぼくの奥さんでした。よかった。ベッドに横になってました。
ベッドの横に機械が置いてあります。そして腕に点滴。「これ促進剤?」とぼく。「うん」とぼくの奥さん。
ベッドの横にある機械は、方眼紙の帯をゆっくり吐き出しています。そこには細かいジグザグが書かれてます。同時に「ドッドッ」という音を発していました。
これはなんなんだろう。
この機械、お腹のあかちゃんの心音と、陣痛の周期をモニターするんですって。ぼくの奥さんが、教えてくれました。まだ話せました。
ぼくは「仕事の準備なんかするんじゃなかったなあ」と感じました。となりが「うー、うー」と言ってます。はげます旦那の声と、おかあさんかな?そんな声。
カーテン一枚だからね。
「もっと早く来ればよかった。」とぼくは感じました。甘かった。
ぼくは会社に連絡。今日を休むことにしました。そして、ぼくの奥さんのおとうさん。
長野の義理のおとうさんに連絡。
そして、いそいで予備室に戻りました。ぼくの奥さんの状態は、時々顔をゆがめる。呼吸は時々「ふー」という状態。
時間は過ぎてゆきました。
「伊藤さん、どう?」と言う女性の大きな声が聞こえました。この人は、助産婦の山口さん(のちにわかりました)。
そして、次にうちのカーテンが開きました。助産婦の山口さんは、うちの顔をみるなり「なーんだ、まだ余裕あるじゃない」と言い、行ってしまいました。
この日、となりの伊藤さんは分娩室へ移動し、出産しました。うちは、自然陣痛につながらず午後4:30ごろ病室へもどりました。
夜、病室のカーテンごしに「ひじかたさん」と呼ばれました。開けるとそれは、昼間の伊藤さん夫婦でした。奥さんは車椅子に乗ってました。
「うちは促進剤やって3日目で産まれました。がんばって下さい」
伊藤さんの奥さんがそう言いました。伊藤さんの旦那さんがぼくにボールを差し出しました。
それは野球の硬式ボールでした。
「これで背中をマッサージするんです。どうぞ」と伊藤さんの旦那さん。ぼくたちより、ずっと若い夫婦でした。
ぼくたちは礼を言い、遠慮なくそのボールをもらい受けました。
シリーズ 子供について考える
2002/02/14更新(^o^)(24)
出産というドキュメント(第3回)
2月 2日 土曜日 はれ 促進剤2回目
今日、8時半ごろ起きる。病院に持っていく品々を確認。財布、書類、洗濯モノ持ちました。本日は、長野から義理のおとうさん(嫁さんの父)到着。
ブルーバードを走らせ1人でやってきたのです。遠路はるばるご苦労様です。
朝6:00に長野を出て、9:30にこっちの家に着きました。さあ、みんなそろって総合病院へ出発。
今日は分娩予備室かと思ったら、ちがってました。場所は、土曜で病院のスタッフが少ないとのことで、ナースステーションに一番近いあきの病室です。
扉を開けてカーテンを開けると、ぼくの奥さんががんばってました。モニターの機械がベッドの横で「ドッコドッコ」と音を出しながら、
記録紙をゆっくり吐き出しています。
ベッドの脇には、長野のおとうさん、ぼくのとーちゃん、ぼくのかーちゃん、そしてぼく。
あいさつや世間話もそうつづかず、みんなモニター機械を見続けるという感じ。
今日は、なぜみんなそばに居られるかといいますと、前述の通り、分娩予備室ではなく、病室で促進剤を使用してるからなんです。
しばらくしてそれぞれが、代わる代わるそばにいるようになりました。全員居つづけてもね。妊婦さんにはプレッシャーがかかるしね。
促進剤点滴は今朝9:25からはじまっていました。そして、陣痛を誘発させる為の錠剤ものんだとのこと。女性ホルモンから作られている錠剤です。
どうだろうか。はじまるだろうか…。
昼時をすぎ、ぼくはベッドの横でプリントをよんでいた。そのプリントは母親学級でもらったもの。内容は、出産に至るまでの時期と子宮口の大きさのこと。
子宮口は最大で「10cm」となるそうです。でも、うちはまだまだそこには至っていませんでした。プリントには「補助」という項目があり
「腰や背中をマッサージしてあげましょう」
とありました。
昨日、伊藤さん夫婦からもらったボール。ぼくは思い出して、背中をさすってみることに。まあ、効くようですが、要領がわからず試すという感じ。
そして母親学級プリントの「補助」という項目にはさらに「はりのある周期をメモする」とあります。包装紙にボールペンで、さっそくメモをとることにしました。
02/02(土)315室 お腹のはりを記録。
13:36
13:38
13:41
13:43「息をほそく長く。吐くほうに集中。
13:45 ローソクを吹くように」と指導をうけました。
13:47
13:50
13:52
13:55
13:57
14:00
14:04 2分間隔もあれば3分もあり、はりの間隔が遠のいたり
14:07 近づいたりという状態です。
14:09
14:11
14:15
14:17
14:20
14:22
〜
検診 助産婦の山口さんが検診しましたが「まだです」とのこと。
〜
14:37
14:39
14:41
14:43
14:45
14:49
14:51
14:53
14:57
14:59 6分間隔もあれば5分間隔もあり、むらがあります。
15:05
15:10
15:12
15:15
15:18
15:21
15:24
15:27
15:29
15:31
15:34
〜
検診 いまのところ子宮口にかわりなしとのこと。
〜
15:45
15:47
15:55
今日は自然陣痛につなががりませんでした。
医師から説明あり。明日はからだをやすませて、月曜にまた行いましょうとのこと。
ぼくの奥さんは、しばらく休んでもとの病室へもどりました。家族みんなも帰宅。
ただし、長野のおとうさんは、火曜までぼくの部屋に泊まりたいとのこと。了解しました。
長野のおとうさんいわく「待つしかねえな」とのこと。
長野のおとうさんを部屋に迎え、明日に備える。明日は7:30起床!
シリーズ 子供について考える
2002/02/16更新(^o^)(25)
出産というドキュメント(第4回)
2月 3日 日曜日 あめ 入院4日目
07:30起床。今日は雨。長野のおとうさんと朝起きました。朝御飯の用意をし、二人で食事しました。今日は雨。
昨日洗濯は、一部乾いていたものを持って出発。
そして、病院に着くやいなや、ぼくは忘れ物をしていることに気づく。
気がそわそわしてるのだなあ。とんぼがえりしてやっとたどり着くと、時計は10時をまわっていました。
10:20病院入場。洗濯物をわたしました。本日はスタッフが少ないので、促進剤は1日おやすみ。
点滴は、抗生物質のみです。ご存じない方に少し説明しましょう。
なぜ抗生物質の点滴をするのかと言いますと、破水したばあい「感染症」
という症状になる可能性が高くなり、薬でおさえなくてないけなくなるんですね。
感染症は、目の病気、脳の病気などいろいろなことを引き起こすんだそうです。
ここの医師は、いまのところ症状はでていないとのこと。
症状が出ると、体温が上昇するとのことで、検温。
そして、採血で炎症反応をみるということです。
昼、総合病院ちかくのそば屋で飯を食べ、洗濯物をうけとり職場へ。
時差出勤なんで、大丈夫なんですね。しかし、仕事しながらも、心は落ち着かないもんです。
なんか浮ついた気持ちになってしまう。やばい。やばい。
夕方、職場の飯時間を利用して、病院に顔を出す。数分しか居られなかったです。
明日。明日だ。
シリーズ 子供について考える
2002/02/17更新(^o^)(26)
出産というドキュメント(第5回)
2月 4日 月曜日 はれ 促進剤3回目
朝9:30から点滴の促進剤が開始されました。薬をいままでのと変えました。
ぼくは、昨日よりすこし遅れ到着。部屋は315室を使用。長野のおとうさんとぼく。二人ベッドの両脇に座っていました。
ぼくは、お腹に話しかけていました。「おーい。出ておいで」って。看護婦や助産婦さんの話では、赤ちゃんの心音は力強く元気であるとのこと。
一方、ぼくの奥さんは、かなり疲れていたと思います。そして、ぼくはお腹に話しかけていました。
昼過ぎ、主治医の阿久津医師が回診。「陣痛がこないわけがないんです。不思議です。」とのこと。しばらくして助産婦の山口さんが検診。
「子宮口は2cm」とのこと。
新たに促進剤の追加がされました。前回の倍の量でした。心配になります。しかし、心配とは言わない。言わない。
時間はすぎ、ぼくは仕事の時間。ぼくは病院をあとにしました。仕事。仕事に集中。ナースセンターに連絡をしてくれるようお願いしていました。
胸に入れた携帯電話が鳴ることになっていました。そしてこの日、仕事中に携帯が鳴ることはありませんでした。たぶん、病院での動きは、なかったのでしょう。
仕事が終わると夜中の12時です。面会はかないません。
家へ車を走らせていました。今日は、長野のおとうさんとは、あまり話してる時間がなかったんです。でも、確か、もう長野に向かって帰ってるはずでした。
「そうか。もう朝ご飯つくらなくてもいいんだな」と走らせながら独り言。ふうー。仕事疲れというか、へんな疲れ方です。
帰り着くと部屋に電気がついてる。ドアを開けると、居ました。長野のおとうさんが正座していました。「あれ?」
長野のおとうさんが口を開きました「ひじかたくん。なんとか出してやったほうが、いいんじゃないか」それは帝王切開のことを言ってるんだなと思いました。
長野のおとうさんは言いました。「なにしろ、人に聞くと破水したら、すぐ出してやらねえといけねえって言うだが。」
彼は真剣でした。つづけて「羊水が流れ出たら、まくが顔にひっついちまう。ていうことは呼吸が出来ないってことだが。」うむ。この発言は、ぼくいまでもわかりません。
そんなことはありえませんね。だって臍から全部もらってるわけで、羊水だって毎日つくられてるんですって。
しかし、長野のおとうさんは質問もさせない真剣さにつつまれていました。約1時間ほど話しを聞かされました。長野のおとうさんは、
以前行っていた個人産院へ行って、先生の意見を明日うかがってくれとのこと。
明日も、朝ご飯つくるぞ。個人産院にも連絡するぞ。
シリーズ 子供について考える
2002/02/28更新(^o^)(27)
出産というドキュメント(第6回)
2月 5日 火曜日 あめ 入院6日目
朝7:30起床。朝ご飯の支度。買っておいた惣菜を皿にならべる。みそ汁は、長野のおとうさんがつくる。
あまり会話なく、そそくさと片す。
08:00 以前通っていた個人産院に電話。事情を話す。本人は居ないが、参考までにお話をと。先方は9:00に来て下さいとのこと。
08:45 個人産院到着。長野のとうさんと僕の二人。入場。「32週までお世話になりましたひじかたです」と名乗る。保険証を忘れた。と言うか、
奥さんに持たせたままだ。事情を話す。
さて、産婦人科の長椅子で、男二人待つ。さいわい他に来院者なし。
09:00 「ひじかたさん、どうぞ」と呼ばれドアを入る。医師が座ってカルテを見ている。彼が言いました「さて、どうしましたか?」
僕が言いかける。すると「ちょっといいかね」と言いながら、手刀が横から入りました。そこからは、長野のおとうさんがすべて状況を説明。
長野のおとうさんの話は、ゆっくりと、日付を間違えながら、進んでいきました。そして、ひととうり説明がおわりました。
医師が話ました。「ご本人をみてませんから、伺った話でしか言えませんが…」と切り出しました。
「…まず、破水からこれだけの日数(2/5現在6日目)が、経過してます。ですと、そちら(総合病院)のスタッフが、かなり神経を使ってると思うんですよ。
感染症ですけど、血液検査と体温上昇でわかるんです。問題があれば、すぐ対処できるようにしてると思います。
破水入院から6日目です。医師としては、もうここで帝王切開を判断する人も、いると思います。
…そして、そちら(総合病院)では明日2/6にもう一回、促進剤を使用してみるということですね。それは、おなかの赤ちゃんが元気だからだと思うんです。
どこで(自然分娩か帝王切開かの)判断をするかは、それは医師の経験です。あまり日がたつと赤ちゃんの体力も心配になる。
ぎりぎりなところで、促進剤を使用して、赤ちゃんが弱り切ってしまったという経験をした医師だったら、帝王切開に踏み切ると思います。
時期からしますと。家族と本人がよく話し合って、医師に(帝王切開を)進言しても、いいと思います。
…帝王切開には、もちろんリスクもあります。もし2人目の時は、その縫ったそこが裂けやすくなると。そして、何万人に1人ですが、血管の状態が、
どうしても切開する時に避けられないと、出血多量になる場合もあると。
そして、お互い人間ですから、相性があります。家族、本人とよく話してそれを医師に伝えることがいいと思いますよ…。」
個人産院をあとにしながら、ぼくとおとうさんは、いくぶんか気分が前向きになっていたと思います。
昼頃、総合病院に到着。ぼくの奥さんは、疲れている感じ。午前中の個人産院で伺った話を伝えました。彼女は「あともう1日頑張ってみる」といいました。
よし、あと1日。ちょうどそのとき、回診がありました。主治医の阿久津さんでした「血液に炎症反応が少しですけど、出ました」
と言いました。そして「どちらにしても明日決めましょう」と言いました。
医師がつぎの病室に行きました…。ぼくは今までの、苦しかったことを思い出していました。なんとか乗り切れたぼくたちだから、今度もきっと大丈夫だと。
紙にメモ書きをしました。ここは、3人部屋でしたので、言葉をメモにしました。ぼくは、奥さんと、おなかの赤ちゃんと、自分を信じているとメモに書きました。
そして、仕事へゆきました。
シリーズ 子供について考える
2002/03/03更新(^o^)(28)
出産というドキュメント(第7回)
前編 2月 6日 水曜日 はれ 促進剤4回目
朝07:30起床。今日は仕事はOFFなのです。日曜に仕事したので、変則ですが水曜休み。
ぼく、おとといの2/4から歯が痛い。ズキズキと。かみ合わせが、もう出来ない。以前に2/6の午前中に歯医者の予約を入れました。
今日は、なんて天気がいいのだろう。午前中に歯医者に行って、そして病院へ直行しよう。そうしよう。
すると、長野のおとうさんが言いました「今日は、大事な日だで、歯医者ならいつでもいけるずら」
病院の分娩予備室には、おとうさんは入れないのでした。ぼくは08:00すぎに歯医者へキャンセルの連絡を入れました。
洗濯物と差入れを持ち、ぼくと長野のおとうさん2人で、総合病院へ。9時30頃到着。ナースセンターで聞くと、やはり予備室へ移動したとのこと。
予備室の入り口で、おとうさんと別れ、予備室に入室。心音モニターがリズムをきざんでいます。ぼくの奥さんの表情は、いつもより苦しそうでした。
身体を横にしていませんでした。ベッドに身体を起していました。ぼくは即座に、記録を開始。時計を見ながら、痛みの来た時刻を記入。
陣痛時刻
09:30 促進剤開始
09:40
09:45
自分も息を吐くアクションを開始。息を長く、ゆっくりと吐くように。痛みがつよく、呼吸法に注意をはらえないようです。
09:47
09:50
09:52
09:55
痛みがくると、身体にちからがどうしても入るようです。ぼくは、息を吐くときに、脱力するように、さすります。
自分も息を吐くアクションをつづけます。本当に、のどが乾く。買ってきた500ペットボトルを飲ませます。そして自分も飲む。
09:58
10:02
10:05
10:07
伊藤さんから、頂戴した硬式ボールで背中と腰を、ぐりぐりとしてゆきます。かなり効くようです。それでも一時的ですが。
10:10
10:13
10:15
10:17
歯がズキズキ。ぼくが「2時間くらい車の中で仮眠とりたい」と言ったら、ぼくの奥さんに無言でダメと言われる。
10:20
10:24
10:26
10:29
10:32
じっとしてることが出来ない様子です。カーテンが開いて、助産婦山口さんが言う「このあいだと、全然ちがうね!」満面の笑顔。痛そうな顔が、山口さんを喜ばせるようです。
検診 子宮口 4cmとのこと。少し開く。
10:37
10:39
10:43
10:45
10:47
10:50
10:52
10:56
10:59
看護婦さんが言う「いい陣痛来てますね。つらそうですね」と。そして、点滴を操作する。
「アトニン60へ」と看護婦さんが、モニターの記録用紙に記入。促進剤が、さっきまでの倍の量に。
陣痛時刻
11:02
検温37度2分。ちょっと高め。
助産婦山口さんが、メモの付け方を細かく指示。おなかのハリ(痛みの開始から、痛みの終わりまで)の時間をメモして欲しいとのこと。以下(かっこ)でメモします。
陣痛時刻・陣痛時間
11:08 ( 40秒)
11:11 ( 30”)
11:13 ( 50”)
11:17 ( 47”)
痛みがあり、呼吸法もつづけなければならないです。話して知らせてもらうのを止めて、サインでしてもらうことにしましす。
痛み初めは、人差し指を天井に向ける。痛み終わりは、人差し指を、床に向ける。
11:19 ( 40”)
11:21 ( 50”)
11:25 ( 50”)
11:27 (1’18”)
11:29 ( 55”)
病院の食事が配膳される。助産婦山口さん「ひじかたさん食べれる? (奥さん首をふり) そう、じゃあ旦那さん食べて下さい」とのこと。
カーテンごしに「ふーっふーっ」を聞きながら頂く。
・中華野菜炒
・あんにん豆腐
・スープ
・ご飯
検温37度6分。高め。
子宮口をやわらかくする座薬を使用。
阿部医師の回診「このまま体温があがると帝王切開をすることになります。念のため、手術に備えて飲食はしないで下さい」とのこと。
ここから水分がとれなくなる。呼吸法とは、かなりのどが乾く。給水できないのは、つらいだろう。
陣痛時刻・陣痛時間
12:04 ( ? )腰をさするのに一生懸命で、時間がわからなくなります。そこのところは(?)で表記します。
12:06 ( ? )
12:11 ( 45”)
12:13 ( 55”)
12:16 ( 55”)
12:19 ( 50”)
12:21 ( 50”)
12:24 ( ? )
12:27 ( 45”)
12:29 ( ? )
阿久津医師の回診「今日、また炎症反応が強くなりました。どちらにしろ、今日に(出産を)しましょう」とのこと。
シリーズ 子供について考える
2002/03/10更新(^o^)(29)
出産というドキュメント(最終回)
後編 2月 6日 水曜日 はれ 促進剤4回目
助産婦の山口さんは、年齢が30代後半という感じでしょうか?背は低いものの、どっしりとした人です。
黒人シンガーのような大きい口をしています。看護婦と助産婦はどうちがうのかわかりません。ただ、服装が若干違います。そして、
山口さんが、ほかの看護婦さんに指示を出してる姿を見ますと、この分娩予備室では、かなりな人のようです。
妊婦を3人ほどを、一度にみているようで、大変忙しく駆けずりまわっています。
さきほど助産婦の山口さんに言われました「手はパーにして、目は開けてね」と。
この予備室で、いきんでは、いけない。つとめて脱力すること。手は握ってはいけない。手のひらは、痛いときほど開くこと。
目はつむってはいけない。目は痛いときほど開けること。
腰をさするのに一生懸命で、時間がわからなくなります。そこのところは(?)で表記します。
陣痛時刻・陣痛時間
12:52 ( 50”)
12:54 ( 30”)
12:57 ( ? )
12:??( ? )
13:02 ( 40”)
13:04 ( 55”)
ぼくの奥さんが「ねむくなって来た」と言う。カーテン越しに山口さんの檄(げき)が飛ぶ。
「ねむったら、陣痛なくなるよ!」
ナースセンターから、奥さんにぬれタオルを持ってくる。ぬれタオルで顔や首すじを冷やす。
13:??( ? )
13:10 ( 50”)
13:12 ( 45”)
13:14 (1’00”)
13:17 ( 50”)
「これは、長距離走をしてるような感じ」とぼく。
周期的にめぐってくる陣痛が、なぜか、走っていてチェックポイントを通過するように感じて。
13:??( ? )
13:21 ( 50”)
13:23 ( 45”)
13:26 (1’00”)
陣痛が、2分から3分を刻んでいます。この陣痛間隔が、どうか遠のかないように。
13:29 ( 55”)
13:31 (1’00”)
13:33 ( 50”)
13:35 (1’00”)
陣痛時間は、長くなっています。平均して、長くなってきてます。
陣痛時刻・陣痛時間
13:37 ( 50”)
助産婦の山口さんが、奥さんの腰をさする。ぼくは、背中をさする。
さすって欲しい場所が刻々と変わるようです。
さっきまでさすっていたところが、痛い。
奥 さん「わがままですみません」
山口さん「いいのよ。妊婦と受験生は、わがままでいいの」
と言いつつさする山口さん。山口さんは、すぐまたべつのベッドへ。
13:41 (1’00”)
13:43 ( 45”)
13:46 (1’00”)
13:48 (1’00”)
13:50 ( 50”)
助産婦の山口さんによる
検診 子宮口 7cm
よし。開いている。「今日はこのままゆけるんじゃないか」とぼくは思う。しかし、口にはしない。しない。
13:??( ? )
13:??( ? )
13:59 ( 50”)
14:01 (1’00”)
14:03 ( 50”)
14:04 ( 45”)
14:07 ( 55”)
14:10 (1’05”)
14:12 ( 55”)
助産婦の山口さんが、奥さんの腰をさする。ぼくは、背中をさする。
山口さん「ひじかたさんって、がまん強いね。ひじかたさん、あなた体育系だったでしょ。」
奥 さん「絵を描いてました。」
山口さん「え?」
奥 さん「油絵を。」
正確には”さする”というより”摩擦する”という感じなんです。サッサッと。
山口さんは、すぐまたべつのベッドへ。
14:??( ? )
14:??( ? )
14:19 ( ? )
14:20 (1’00”)
14:23 (1’00”)
助産婦の山口さんによる
検診 子宮口 7cm以上
14:??( ? )
14:26 ( ? )
14:28 (1’00”)
14:30 (1’05”)
14:??( ? )
14:34 (1’05”)
14:36 (1’00”)
14:40 (1’50”)
14:42 ( 55”)
14:45 (1’00”)
14:46 ( ? )
14:??( ? )
14:53 ( ? )
阿久津医師。モニターの記録紙を、さっと見て、奥さんの顔をみる。そして予備室を出ていく。
カーテンの向こうで、スタッフがあわただしく動きはじめました。
阿久津さんの号令「移動、移動するよ」
分娩準備室より、分娩室へ移動。
ぼくも、奥さんの荷物を持って移動。マスクとエプロンを着用するように注意を受ける。
廊下に準備されたエプロンと簡易マスクを着用。手を消毒する。
入室する。準備は完了。分娩台に奥さんは乗っていました。陣痛促進剤の点滴、モニター。ぼくは何をしたらいいんだろう。
わからないので、スタッフの動きを目で追う。奥さんのおでこをなでる。助産婦の山口さん、
看護婦の方2名、主治医の阿久津さん。4名。山口さんが器具をそろえおわった。
山口さんは言う「つぎのハリがきたら、息止めて、んーっていきむのよ」と。つづけて
「旦那さんは、合図に合わせて、頭を起こしてあげて下さい」と…。
来た。いきむ。分娩台の手すりを強く引くように指示がでる。ぼくは、へそを見るように奥さんの頭を起こす。
「んー。」
来た。「んー。」いきむ。ぼくは、へそを見るように奥さんの頭を起こす。
来た。「んー。」いきむ。奥さんの頭を起こす。顔がまっかだ。大丈夫だろうか。
来た。「んー。」いきむ。頭を起こす。
分娩台の手すりがはずれる。スタッフがいそいでボルトをしめなおす。
来た。「んー。」いきむ。頭を起こす。
阿久津医師が言う「奥さんもがんばってるんですが、もうちょっと足らないようです。私がお手伝いします。お腹を押します」と。
分娩台の横に足台がある。そこに阿久津医師が立つ。お腹を押すのため待つ。山口さんはとりあげる姿勢で待つ。僕は、頭を起こすのを待つ。
看護婦は、モニターをみている。待つ。…機械の音だけがピコピコ鳴る。
来た。「んー。」全員が開始する。阿久津医師の押しで分娩台が揺れる。揺れる。揺れる。「ぼくの奥さんが死んじゃったらどうするんだ」と思う。
来た。「んー。」全員が開始する。分娩台が揺れる。揺れる。揺れる。ぼくの奥さん、かわいそうだ。でも、頭を強く起こす…。
「頭が、見えてきたわよ。」と山口さんが言う。
来た。「んー。」全員が開始する。分娩台が揺れる。
来た。「んー。」全員が開始する。分娩台が揺れる。
阿久津医師「ちょいと、切開しますよ。」と言う。ぼくからは何も見えない。手際良く処置が行われるのがわかる。
山口さん「もう少しもう少し。今度は、ハッハッてみじかくね。はい!」「ハッハッハッハッ…」
…スタッフが「わー」と言った。
山口さん「はい。頑張ったね…いま泣くからね」
泣いた。赤ちゃんが、泣いた。泣いている。
洗っているんだろうか、見えない。水の流れる音。ぼくの奥さんはぐったりしている。
そして、赤ちゃんが、奥さんのお腹のうえに、のせられた。赤黒い。泣いている。泣いている。ヒクヒクしている。寒そうだ。泣いている。
ぼくは「ありがとうございました」と何度か言った。そして「よくがんばったね」と何度か言った。ライトの影で、阿久津医師が、自身の目おさえるのが見えた。
ぼくは500mlペットを出して、奥さんに飲ませることにした。「飲ませてもいいですよね」
15:36 出産 体重3150g 身長49cm 男子
破水入院から、7日目。136時間後の出産。これは、ここの病院の新記録とのこと。
『出産というドキュメント』 【終】
シリーズ 子供について考える
2002/03/15更新(^o^)(31)
出産というドキュメント
ありがとうございました
病院というところは、特殊な場所です。日常とは違うところですね。そして、やっぱり早く家に帰りたいものです。産婦人科に入院される方々は、入院し、すぐ出産という人もあり、
短い期間の人が沢山いらっしゃいます。うちは入院し出産までが、7日。産後は4日し、退院しました。計11日間の入院です。
ですから、自分たちより後から入院してきた人が、次から次へと、先に退院していく。自分たちは、自分たちのペースなんだと、言い聞かせてもなかなかあせります。
入院した病院は、病室の同じ階に新生児室がありました。男性諸君は、わかりますか?新生児室とは、
あかちゃんが看護婦さんに面倒をみてもらうところです。廊下からガラス越しに様子がみれるところです。来院した親族や、友人が見られるようになってるんです。
陣痛促進剤を投与される日々で、この新生児室を”ぼーっ”とみるんです。今日はどんな子が産まれたのかが、わかる。そしていままでいた子が、お母さんと一緒に退院していく。
あかちゃんの泣く声が、うらやましいんです。自分たちが取り残されていく感じにおちいるようです。疲労もさることながら、この「取り残されていく感じ」がたまらなく苦しかった。
2人とも痛切に感じていました。もちろんそれは、せつせつと口に出したりは、しなかったですけど。
このドキュメントを最後まで読んで頂き、本当に、ありがとうございます。多くの感想をいただきました。途中、多忙のため幾度か保留にしようかと思いました。
しかし、反響が、ぼくに書かせてくれました。
来場者の人々の感想メールや、掲示板書き込みなどに励まされ、いま、このようにみなさんにお礼を言うことができます。大変嬉しく思います。
どうも、ありがとうございました。
いかがでしたか? つづきは「育児だよ」でお会いしましょう!
「0〜1歳 育児だよ」
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「懐妊だよ」
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